風評被害 と いじめ

濱野彰彦

2011年04月01日 22:23

風評被害の怖いところは、間違った事実を
正しそうなことだと思い込んでしまうことだと思います。


小学校低学年の時、みんなが「あいつきたない」って言うと、
ホントにきたない気がしてました。

先生が、いくら「きたなくないよ」って言っても、
やさしい女子が「きたなくないよ」って言っても、
やっぱり触れると自分もよごれるのではないかと、
その子の近くに行くと、なかば恐怖に近い感情が起きたことを思い出します。

そのときの自分には、加害者だという意識はなく、
むしろ自分は、よごされる危険のある被害者だとまで思っていました。

他の友達に「近づかない方がいいよ」と、善意で伝える始末。

笑えない思い出。
今思い出すと本当に恥ずかしい、悔やまれる思い出。

本当に、申し訳ない。


 ・加害者本人に罪悪感がなく、浄化作用が働きにくい。

 ・むしろ恐怖感や正義感で被害を広める。

 ・恐怖感が強い間は、正しい情報を得ても、軌道修正が効きにくい。


それが風評被害の恐ろしさだと思います。


そして、このことがわかっていても、それでも間違ってしまう可能性は
完全には排除できないのです。

自分の臭いには、自分で気付くことが出来ない。

特に、恐怖や不安という感情にとらわれている間、
自分の間違ったパラダイムには気付きにくいのです。

メンターやコーチや仲間がいる意味のひとつは、ここにあると思います。

自分の臭いは、ちゃんと鼻のセンサーが臭い分子をキャッチして、
脳に信号を送っているはずなのに、なぜか気付けない。

自分が間違っているのではないかと、自己批判をしようとしても、
それを判断するものさし(価値観)やメガネ(パラダイム)自体が
自分流にゆがんでいるので、対象物のゆがみに気付けない。


ゆがみを自分の代わりに、教えてくれる存在は、とても大切だと思います。

(エイプリルフールに愛を込めて)
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